2025.10.18|最終更新日:2025.10.17
目次
はじめに
英国全土で私立校は約2,600校あると言われており、半数の1,300校がISC (Independent Schools Council)という協会の登録校。そしてそのうちの500校弱が寮を提供しています。
数多ある私立校からお子様に最も相応しい学校を選ぶのは至難の業とも言えます。
学校選択のポイント
9月27日付の私のコラムでも触れたように、学校選択のポイントは下記の通りです。
●Ofsted、ISCの査定、GCSE (全英義務教育修了試験)やA Level (全英大学入試試験)の結果ランキングが良い学校
●男子校・女子校・共学校
●できるだけヒースロー空港から近い学校
●その学校が重視している教育の領域
●寮が併設されている場合は、何年生から寮に入れるか?
●外国人留学生の比率
●卒業後の進路
●シニアスクールの付属校か?
●高等教育への入学準備課程(GCSE・A Level・IB)
渡英までの経緯
では実際の学校見学の際にどう言った点に着目すれば良いのか?を私の実体験を踏まえて書いてみたいと思います。
我が家は夫のロンドン転勤の帯同で、当時都内の私立小学校4年生に在学中だった一人息子を連れて英国にやってきました。
息子は日本での厳しい小学校受験を潜り抜けて入学し、高校まで一貫校の中で進学していくと固く信じていたため、当初は転校をとても嫌がりました。
学校探しとエージェントの活用。息子の心境の変化。
自力で息子に相応しい学校を探そうとしましたが、冒頭で述べた通り、ロンドン近郊だけでも約500校以上の私立校があるため、学校名だけ見てもさっぱり分かりません。そこで小中学生の英国留学を手掛けているエージェントに助けを求めました。
母子で訪ねたオフィスで私立小学校のパンフレットや日本で何十年にも渡って読み継がれている英国のパブリックスクールの指南書ともいえる『自由と規律』の本を見たりしているうちに、当初断固転校を拒否していた息子の気持ちは「現在自分が通っている小学校より色々な意味で良いと思える学校に替われるのであればパパについて行っても良いけれど…」と緩和。「夫がロンドン市内のオフィスに通勤可能圏内に所在する通学可能な学校、(通っていた小学校が男子校だったので)男子校、一人一人を細やかに見てもらえる小規模校」という条件を提示して、有料サービスを利用して6校ほどの学校訪問リスト作成をお願いしました。
その後はこのリストをもとに私が直接学校に連絡を取り、ロンドン郊外北部の1校、郊外西部の2校、ロンドン市内の1校を選択。私は英語でのコミュニケーションに不自由がないため自力で進めましたが、こうしたやり取りにはしっかりとした英語力が求められます。英国の学校は7月には夏休みに入るとのことで、その直前の6月に校長先生との面談および学校見学のアポイントを取り、私と息子は渡英して先に赴任していた夫の滞在先に合流しました。
学校訪問での発見
実際に学校訪問をして一番驚いたのは、「英国の私立小学校」と一口に言っても、それぞれの学校ごとに、学校の規模、教育設備、教育方針が全く異なることでした。
指導力のある優秀な教師陣を揃え、より多くの卒業生を優秀なシニアスクールに進学させることを重視する学校。芸術系の領域に力を入れて、立派な劇場や広々とした美術室や幾つもの音楽練習室を備えている学校。立派なスイミングプール、サッカー・ラグビー・クリケットなどの広大なフィールドを備えている学校。パストラルケアと呼ばれる生徒一人一人の日常の暮らしを充実させるために、寮の設備を整え、寮母はじめカウンセラーやナースを充実させている学校。授業以外の課外活動を豊富にそろえて、生徒が楽しみながら学校生活を送ることに注力している学校。
各校が教育の主眼をどこに置いているかは、校長先生との面談を通してすぐに明らかになりました。
教育環境としては、ロンドン市内の狭い敷地の学校よりもロンドン郊外の広大で充実した施設を備えた学校の方が魅力的でした。
学校を決め、新生活スタート
最終判断を息子にさせた結果、息子が選んだのは、ロンドン郊外西部のアスコットにあるYear 2からYear 8の子ども220人が学ぶ小規模な男子校でした。
こうして、日本の小学4年生1学期を終了した息子は、5月生まれで9月の新学年開始時には10歳になっていることもあり、Year 6として学年が2つもインフレされ、英国の私立小学校で新しいスタートを切ったのでした。
英国は日本同様に3学期制で、最初の2学期間は毎朝森の中を送り迎えする車の後部座席でくつろぎながら、快適な通学をしていた息子ですが…。
思わぬ発見
息子が編入した小学校は、Year 6の3学期目から「Weekly Boarder」と呼ばれる、週末しか帰宅が許されない学校でした。学校=毎日通学だと信じて疑わなかった迂闊な私たちは、そのことに夢にも気付きませんでした。 その体験については、また別の機会のコラムに譲ることにいたします。